埴輪(はにわ)を置(お)いた意味(いみ)は
古墳(こふん)時代より前の弥生(やよい)時代に使われていた壷(つぼ)とそれをのせるための器台(きだい)という土器(どき)のかたちが、どんどんかわって円筒埴輪(えんとうはにわ)や朝顔形埴輪(あさがおがたはにわ)になりました。壷などは死者(ししゃ)にささげる食べ物をいれた入れ物でした。
ただ、円筒埴輪(えんとうはにわ)はくっつけて列にしてならべたので、人が古墳の中に入れなくするための柵(さく)のかわりの役割(やくわり)もありました。
古墳時代でも新しくなるほど、家やいろいろな品物(しなもの)、人、動物の埴輪が数多くつくられるようになりました。中には、木や石でつくられたものもあります。
≪古墳につかった埴輪の数は≫
大阪府(おおさかふ)の大仙(だいせん)古墳は30,000本、墳丘(ふんきゅう)の長さが194メートルの兵庫県(ひょうごけん)の五色塚(ごしきづか)古墳では2,200本の埴輪があったでしょう。
≪埴輪の種類は≫
埴輪の中で一番多いのは円筒埴輪(えんとうはにわ)ですが、ほかにもいろいろあります。また、埴輪と同じように並(なら)べられた木の飾(かざ)り物(もの)や石でつくったものもあります。
| 品物 | |
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円筒(えんとう) |
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朝顔形(あさがおがた) |
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器台(きだい) |
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壷(つぼ) |
| 家 | |
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家(いえ) |
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囲形(かこいがた) |
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器財(きざい)―持ち物 |
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短甲形(たんこうがた) |
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甲冑形(かっちゅうがた) |
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冑形(かぶとがた) |
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盾形(たてがた) |
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靱形(ゆきがた) |
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太刀形(たちがた) |
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鞆形(ともがた) |
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蓋形(きぬがさがた) |
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翳形(さしばがた) |
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冠帽形(かんぼうがた) |
※ほかに高坏(たかつき)、船(ふね)などもあります。
| 動物 | |
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猪形(いのししがた) 藤井寺(ふじいでら)市にある青山(あおやま)3号墳(ごうふん)で出土(しゅつど)しました。 5世紀(せいき)ごろのものです。 |
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鶏形(にわとりがた) 藤井寺(ふじいでら)市にある土師の里(はじのさと)遺跡(いせき)で出土(しゅつど)しました。 5世紀(せいき)ごろのものです。 |
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犬形(いぬがた) 堺(さかい)市にある仁徳陵(にんとくりょう)古墳(こふん)で出土(しゅつど)した埴輪(はにわ)の複製品(ふくせいひん)です。 5世紀(せいき)ごろのものです。 |
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水鳥形(みずどりがた) |
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馬形(うまがた) |
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鹿形(しかがた) |
≪埴輪の大きさは≫
円筒(えんとう)埴輪はよく似(に)た大きさのものをたくさんつくる必要(ひつよう)があります。そのために、ちょうど人の脇(わき)の高さぐらいのものがつくりやすい大きさのものになります。この大きさは踏(ふ)み台とかを使わずに、何人もの人が一度につくれて便利(べんり)だからです。古い埴輪は、つくった人の身長(しんちょう)の差なのでしょうか、多少(たしょう)大きさが違(ちが)います。小さなものは、ちょうど手の長さくらいになります。これは一方の手で埴輪をささえて、もう一方で道具を持(も)ってつくるのに便利だったからでしょう。
≪埴輪のつくり方は≫
埴輪(はにわ)つくりははじめのころは、それぞれのところでつくっていましたが、同じものをたくさんつくるようになって、埴輪つくり用の作業場(さぎょうば)で、いっせいにつくるようになりました。
- 埴輪(はにわ)つくりの材料を集める。
- 粘土(ねんど)
- 砂(すな)
- 水
- 薪(まき)
- 粘土をこねる。
- 円筒(えんとう)埴輪の場合(ばあい)は、粘土のひもで輪(わ)をつくり、その輪を上へ積(つ)んで、だいたいのかたちをつくる。
- 仕上(しあ)げに表面(ひょうめん)を平(たい)らにするときはハケメという工具(こうぐ)を使(つか)いました。ハケメについては、後に説明(せつめい)があります。
- かたちができたら、1カ月ほど、屋根(やね)のあるところで陰干(かげぼ)しします。これは、粘土の水気(みずけ)を取(と)るためです。水気が残(のこ)っていると、焼(や)いているときにこわれるからです。
- 埴輪を焼く。次(つぎ)に乾(かわ)かした埴輪を焼きます。4世紀(せいき)は、焚き火(たきび)のように薪(まき)を燃(も)やし、その火の中に入れ、焼きました。そのため、煤(すす)のような黒い斑点(はんてん)が埴輪の表面にしみこんでいます。この焼き方を野(の)焼きといいます。5世紀には、須恵器(すえき)という器(うつわ)を焼くための窯(かま)焼きの技術(ぎじゅつ)が入いり、埴輪も窯で焼くようになります。そのとき、薪を燃やす場所(ばしょ)と埴輪を焼くためにおく場所とがべつべつになり、黒い斑点がつかないようになります。
- 窯から出して、埴輪の完成です。
≪大阪府(おおさかふ)新池遺跡(しんいけいせき)の埴輪(はにわ)つくり≫
この遺跡では、5世紀(せいき)の埴輪を焼(や)く窯(かま)と埴輪をつくる作業場(さぎょうば)が見つかっていて、いろいろなことが推測(すいそく)されています。
埴輪つくりのチーム-一つのチームが作業場の建物(たてもの)を一つ持(も)っています。チームにはリーダーの下に10~15人の埴輪職人(しょくにん)、窯焼き職人が5人と助手(じょしゅ)がいて、みんなで30人くらいいます。新池遺跡では3チームがいっしょに働(はたら)いていました。
埴輪窯(はにわがま)-埴輪窯は一つで、一度に30本が焼けました。ここには窯も3つあり、一年中、焼きつづけると一年間で4,000本の埴輪ができたと計算(けいさん)されています。
大仙(だいせん)古墳の埴輪だと、この3チーム、90人で、7年半、のべ24万7千人の人が必要(ひつよう)になります。
≪埴輪(はにわ)をよく観察(かんさつ)してみよう≫
埴輪の表面(ひょうめん)をよく見るとハケメという筋(すじ)のあとがついています。これは今のようなハケを使ったのではなく、木の板(いた)の端(はし)を使って表面を平らにするときについたものです。
埴輪の表面を見て、古いか新しいか、黒い斑点(はんてん)がついてるかどうかで調べてみよう。






























